今日は金沢の中心部から津幡町、倶利伽羅峠を越えて富山県に入り、小矢部市綾子までの27km。
この内、中部北陸自然歩道は
| ■ | 倶利伽羅峠のみち | JR中津幡駅~倶利伽羅不動時 | 7.5km | |
| ■ | 倶利伽羅峠越えのみち | 倶利伽羅峠~小矢部市石動 | 5.4km | (富山県) |
中津幡駅までは住宅街を縫って進むバス通りに従って北上。森本駅付近は工事中の新幹線が2階建ての住宅の屋根を遥かに越えて一直線に延びている。
中津幡駅前から東に方向を変え、富山県境の倶利伽羅峠に至る道は旧北陸道であり、石川県の長距離自然歩道に指定されている。
(画像はクリックで拡大します)
![]() 工事中の新幹線 |
![]() 運動公園 |
車が少ない道を小高い山の方に向かって進むと、緑の芝生に赤いトラックが美しい運動公園があったが、人の気配は全くなかった。 |
| 旧北陸道は5万分の1の地図によると部分的に点線になっているので、細い山道を想像していたが、、オオバコなどの背の低い草は生えている所もあるものの、幅3mほどの広くてよく整備された歩き易い道だった。 しかし、「熊が出没しています。歴史街道で遭遇する場合があるので散策をお控えください」と書いた看板が立っている。 熊に遭遇することは滅多にないとは思ったが、一応こうして注意を呼びかけている以上何もしない訳にはいかないので、イヤホンで聞いていたラジオをスピーカーに切り替え、持ってきた鈴をリュックに取り付けた。 |
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![]() 「熊出没! 散策は控えよ」の看板 |
![]() これより旧北陸道 |
![]() 良く整備された自然歩道 |
| 山道を歩くと、時々蝶が地面に群れて水を飲んでいる(?)ところに出会うことがある。(ミネラル分を補給しているのだと聞いたことがある) きょうは「モンキアゲハ」の群れだった。10頭近くはいただろう。 大型の蝶が地面に群れている様は見事だ! 先に進むのを止めてしばらく見とれていた。 |
![]() モンキアゲハ |
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![]() コキリコを模した車止め |
![]() 突然広い車道に出る |
どんどん山の中に入っているかと思うと、突然広い道路に出る。 案内板が大いに役に立つ。 この道は、こんなことが2~3回繰り返される。 |
| 城ヶ峰という山城の遺跡は最近整備された様子で真新しい柵と階段・休憩舎などがあった。 それを過ぎると民家が4軒あり、リンゴなどが栽培されていた。 民家はこれが最後かと思ったら倶利伽羅峠には更に数軒の民家があり、立派な神社とお寺があり、この暑さの中でも参拝客が数名あった。 昔の遺跡だけかと思っていただけにちょっと驚きだ。 |
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![]() 城ヶ峰・龍ヶ峰城跡解説板 |
![]() 城ヶ峰・龍ヶ峰城跡遊歩道 |
![]() 山森集落 |
![]() お不動さんと手向神社 |
![]() 福井の笏谷石でできているらしい |
![]() この暑さの中でも参拝客が数名あった |
| 案内板によると、ここの神社の社殿は9尺の石造りで、その石がなんと笏谷石(しゃくだにいし)でできているらしい。 この旅の出発点の福井運動公園近くの笏谷で切出された石が、この山の上まで運ばれて来ていたことを知って、二度びっくり。 お不動さんから少し先に源平供養塔があり、この地が源平倶利伽羅合戦の地であったことがうかがえる。 付近は公園化されていて音声で源平合戦の説明が聞ける装置が備えてあり、涼しい休憩所で展望を楽しみながら歴史の勉強ができた。 |
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![]() 源平古戦場解説板 |
![]() 火牛の計 |
更に少し先に、義仲が角に松明をくくりつけた牛400~500頭を放って、平家10万の大軍を破った、源平の戦いに名高い「火牛の計」を策した古戦場である、とあった。 |
| 倶利伽羅峠から先は、富山県の自然歩道「倶利伽羅峠越えのみち」が始まる。 大理石に「歴史街道 くりから越えいにしえの街道」と刻んだ道標が案内してくれる。 こうした歴史街道は全国に24箇所選定されていて、ここはその内の一つだそうだ。 |
![]() 峠の茶屋跡 |
![]() くりから越えいにしえの街道 道標 |
石坂集落まで下りて来ると、ニイニイゼミがうるさいほど鳴いていた。 よく見ると高さ3mほどの小さな桜の木に、たくさん止まっている。ちょっと数えただけで13匹いた。 枝の裏やもっと高い所にもいるだろうからこの木だけでも相当な数だ。 近年蝉も少なくなったと思っていたが、まだ、いる所にはいるものだ。 |
![]() ニイニイゼミ |
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![]() 工事中に大判小判がザクザク |
![]() 八幡神社前の源義仲像 |
![]() 国宝 護国八番宮 |
| 埴生口の八幡神社前には資料館があり、歴史街道「くりから峠のみち」の歴史を展示していた。 目を引いたのは工事中に出土したという1300枚もの小判と金貨だ。展示品は多分レプリカだろうが、ピカピカ輝いていた。 |
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